美ら島暦


外国生活を経て、沖縄に帰郷。美しい島での何気ない日々の暮らしを記します。
by cyura-koyomi
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四十九日

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母が亡くなって本日 四十九日を迎えました

あっという間でした

母は12月に体調を崩し入院 
医師からはクリスマス 年を越すのは厳しいだろうと言われていました

母の入院したホスピスはキリスト教の病院で
時節柄 賛美歌がよく部屋まで聞こえてきました

学生時代 教会へ通っていたという母は
グループホームでも時々 賛美歌を歌ったり お祈りしていました

なので、ホスピスで過ごす時間は
母にとって 
とても穏やかにゆったりとした時間が過ごせたのではないかと思います

私は毎日 面会に行き 日に日に弱っていく母を見ていました

話すことさえ厳しくなった頃
ペンを持つのもやっとなはずなのに
筆談で意思の疎通を図ろうとする母には頭が下がりました

体は弱っていても 頭は最後までしっかりとしていました

そんな母も平成最後の新年を迎えることができ
家族みんなで面会に行きました

もう ずっと眠っているような状態でしたが
みんなで声をかけて新年の挨拶をしました

午後10時頃 病院から連絡があり 家族が付き添った方が良いと言われ
兄と二人で母の病室を訪れました

ずっと寝ていました

広島にいる一番上の兄に電話をかけ
母の耳元で声をかけてもらいました
そのあと
兄と二人 母の足をさすり 髪の毛を撫でながら
高校時代の話や昔話をしていた時


すーっと 眠るように母は亡くなりました


母の耳元で〝ありがとう〟と感謝の言葉を述べ
〝長いあいだ お疲れ様でした〟と言いました

旅たつ時のため用意した 母の一番のお気に入りの
紋付の着物を綺麗に着せてもらい自宅へ帰りました

告別式は雨にもかかわらず多くの方が来てくださり
私の友人たちも参列してくれました

ずっと泣かなかったのですが
友人たちの顔を見ると思わず涙がこみ上げてきました


葬儀の後 納骨の時には雨も止み
太陽が射し お墓から見下ろせる海がとても綺麗でした
父はよく母は晴れ女だと言っていたのを思い出しました

2003年に大動脈瘤解離で半身麻痺になって15年
長い時間不自由な生活ではあったかと思いますが
母の存在は私をいつも勇気づけてくれました

年々 入退院を繰り返し
付き添いで病院に行くたびごとに
母をきちんと送る事が私の大切な仕事だと感じるようになりました

母の最期を兄と共に看取る事ができ
葬儀も無事すませ
今日 四十九日を迎える事ができました

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この四十九日間 ほぼ毎日 朝昼晩の食事をお供えしました

朝は 母のお気に入りのプレートとコーヒーカップを使用しました

これは兄がドイツで買ってきたマイセン

リビングの飾り棚に大切にディスプレイされていました
生前 使われることのなかった大切な食器
母のために 朝食のお供えはこれを使うと決めました

夕食時には子供達と一緒に毎日 手を合わせました

天国の母も 喜んでいると思います

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悲しいと言うより 寂しい思いが募っていきます

でも 一生懸命病気と闘いながら生きた母の姿を見てきて

私も 自分の人生をしっかり生きていこうと思いました



産んでくれてありがとう
育ててくれてありがとう
たくさんの愛情を注いでくれて本当にありがとう

今はきっと パパと一緒にいるね
やっと 一緒にいられるね

これからは 天国で 子供たちの成長を見守ってください

今まで本当にありがとう



by cyura-koyomi | 2019-02-18 15:34